夢を泳ぐ紙魚
2003年7月7日はじめてホルヘ・ルイス・ボルヘスという名前を目にしたのは中学一年の冬、学校を休学してぼーっと昼下がりの繁華街で時間をつぶしていたとき、いつものように行く場所もなく、街でいちばん大きな書店に入り、できるだけわけの判らないものを求めて物色していたら、いきなり『不死の人』などという魅惑的な文字が網膜の奥に焦点を結んだのだった。思わず手に取り、その扉を開いた。すると、ぼくの手の中には、<聞いたこともない小説家や思想家の引用がちりばめられた謎の書物>があったのだ。胸がときめいた。この本をどうやって万引きしようかと考えた瞬間、ぼくは屈強な婦人警官の手によって腕を掴まれていた。未遂ですらなかった。万引きではなく平日に繁華街をうろついていたという容疑による補導だった。休学しているのに補導というのも面白い話だ。警察から学校に連絡が入った時、ぼくの担任の教師は一笑に付したという。おとがめなし。なんかぼくの人生、それからずっと、土壇場にだけ強いみたいなんだ。そして、それ以後、表紙に触れただけで心臓がキチキチとビートを刻むような本にはめぐりあっていない。たとえばガルシア・マルケスの『百年の孤独』にしたところで、すでに有名になった後に読むことになったしね。だからだろう。ぼくには夢の中でだけ訪れる古書店がある。その店の書棚には、誰も知らない事について、誰も知らない作家が書いた、誰も知らない書物が、ぼくに読まれる瞬間を静かに待っているのだ。紙魚に喰われながら。
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