▼ホルヘ・ルイス・ボルヘスが描く作中人物のように、つまり、まるで『ドン・キホーテ』という書物など無かったかのように、あらためて『ドン・キホーテ』と一字一句違わぬ『ドン・キホーテ』という書物を自ら著そうとするセルバンテス・マニアのように、あるいは、ジャン・リュック・ゴダールによって既に破壊されたはずの『映画』なるものが、まだ存在するかのように振るまう映画人の鼻先で、あらためて『映画』なるものを破壊してみせる<ふりをする>ダニエル・シュミットのように、われわれ日本人は、明治以後の『近代』など無かったかのように振るまい、あらためて『近代』なるものを、いうなれば<ポスト・モダン>ならぬ<メタ・モダン>とでも云うべきものを建設しなければなるまい。

▼それにはまず、<破壊者>が必要だ。

▼まあ、こんないいかげんな事を考えるのは少数派に違いない。

▼それもそのはず、私には崩壊の現場に居合わせたいというひそかな欲望があるのだ。それはもう、云うまでもなく、とんでもない欲望だ。大いなる自己矛盾を含んでいる。押さえつけるのに懸命だ。

▼しかし、いまは少数派とはいえ、<世界崩壊というスペクタル>への渇望というやつが、そろそろ世界中に蔓延しはじめているようにも思えるのだが、気のせいかな、ブッシュ君。

▼世界中の人々が、日々、くらしながらも、

「世界崩壊、そろそろだね」
「そうだね」
「それまでに、これだけは片づけとこうかな」
「じゃあ私、そのとき、何着ようかしら」
「この前、法事に着ていったドレス、あれでいいじゃないか」
「いやだ辛気くさい」

なんて語りはじめたら、あっというまにXデイは訪れかねないよね。

▼だからこそ、崩壊のあとにもだらだら日常は続くんだからさ、そのあとの建設について、明るい展望を語るヴィジョンが必要なのではなかろうか。なんてね。

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