プリンスのルーツ
2003年6月29日▼図書館でプリンスのベスト・アルバムとライブ・ビデオを借りてきた。
▼私は特に、全曲を作詞作曲、しかも全曲の楽器を自分で演奏したファースト・アルバムの『I Wanna Be Your Lover』が好きだ、というか、最初にMTVでこの曲のプロモを観た時、ひげ面の変な男がおかまチックにくねくねと体をくねらせながら、<あなたの恋人になりたい、それから、あなたのお姉さんになりたい、それから、あなたのママにもなりたい>なんて歌っているのを見て、おえっと思ったのだが、怖いもの見たさに何度も見ているうちに、いつのまにかプリンスの虜になっていたのだった。
▼そんなふうに、露悪趣味というにふさわしい挑発的なプリンスの身ぶりには、計算され尽したパフォーマンスという姿の裏に、おれは生まれるのが遅すぎたとでも言いたげな、あきらめにも似た<悲しみ>が透けてみえるような気がするのだ。
▼たとえば、派手なアクションとともに、時には真水のように透き通った、時には時間が歪んだような音色を聴かせる彼のギター・プレイを観るといい。1960年代の<ロックスター>ジミ・ヘンドリクスの真摯な姿を思いおこさずにはいられない。
▼あるいはレヴォリューションというバンドを率いていたころのプリンス。洗練された技術と挑発的な身ぶりを演じながらも、そのベースには、泥臭く古典的でファンキーなテイストを据えずにはいられなかったプリンス。あれが1960年代の<キング・オブ・ソウル>ジェームズ・ブラウンへのリスペクトじゃないなんて、誰にも言わせない。
▼ライブばかりではない。
▼スタジオにこもり、たったひとりで織り上げたアルバム『サイン・オブ・タイムス』。自閉症児のひとり芝居とでも呼びたいこのサウンドが、1960年代後期、ソウル、ファンク、ロック、R&Bをごちゃまぜにして、とろけるように危ない音楽を実践していた<アシッド・リズムマシーン>スライ・ストーンのサウンドを連想させるのは決して偶然ではない。プリンスみずから、信仰告白にも似た種明かしを、サインでもするみたく公明正大に、このアルバムのジャケットに残している。そう、スライ・ストーンが1971年に発表した傑作アルバム『暴動』の<裏>ジャケットにそっくりじゃないか!
▼まさしく<時代>を伴侶とし、<ドラッグ&セックス&ロックンロール>とスワッピングを重ね、<ロック>を創造していたと言えるこの3人を、デビュ−前からアイドルにしていたらしいプリンスの嗅覚の鋭さは、いかにも彼らしいものだった。
▼いや、むしろ、プリンスがこの3人をアイドルと宣言することによって、彼らがあらためて再評価されたといっても過言ではなかった。
▼では、なにゆえにプリンスは悲しいのか。
▼それは、この3人のライブ・ビデオを観るだけですぐに分かる。
▼とりわけジミ・ヘンドリクスのライブは、あまりにも圧倒的で、しかも美しい。
▼このビデオを観れば、<ロック>は彼が一瞬にして創造し、すべての可能性を演じ切って死んでいったのだ、という事が露呈してしまう。
▼ジミ・ヘンドリクスを前にしては、ビートルズはただのポップスだし、クラプトンはただのブルースおたくじゃないか、などと暴言を吐きたくなるほどだ。
▼そしてあの頃、プリンスほどの天才が、すでに全てが演じられてしまったステージに立ち、このうえ何を創造すればいいのだと、ひそかに溜息をつき、やがてステージを捨て、ついには名前まで消したのだった。
▼悲しくないほうが不思議ではないか。
▼私は特に、全曲を作詞作曲、しかも全曲の楽器を自分で演奏したファースト・アルバムの『I Wanna Be Your Lover』が好きだ、というか、最初にMTVでこの曲のプロモを観た時、ひげ面の変な男がおかまチックにくねくねと体をくねらせながら、<あなたの恋人になりたい、それから、あなたのお姉さんになりたい、それから、あなたのママにもなりたい>なんて歌っているのを見て、おえっと思ったのだが、怖いもの見たさに何度も見ているうちに、いつのまにかプリンスの虜になっていたのだった。
▼そんなふうに、露悪趣味というにふさわしい挑発的なプリンスの身ぶりには、計算され尽したパフォーマンスという姿の裏に、おれは生まれるのが遅すぎたとでも言いたげな、あきらめにも似た<悲しみ>が透けてみえるような気がするのだ。
▼たとえば、派手なアクションとともに、時には真水のように透き通った、時には時間が歪んだような音色を聴かせる彼のギター・プレイを観るといい。1960年代の<ロックスター>ジミ・ヘンドリクスの真摯な姿を思いおこさずにはいられない。
▼あるいはレヴォリューションというバンドを率いていたころのプリンス。洗練された技術と挑発的な身ぶりを演じながらも、そのベースには、泥臭く古典的でファンキーなテイストを据えずにはいられなかったプリンス。あれが1960年代の<キング・オブ・ソウル>ジェームズ・ブラウンへのリスペクトじゃないなんて、誰にも言わせない。
▼ライブばかりではない。
▼スタジオにこもり、たったひとりで織り上げたアルバム『サイン・オブ・タイムス』。自閉症児のひとり芝居とでも呼びたいこのサウンドが、1960年代後期、ソウル、ファンク、ロック、R&Bをごちゃまぜにして、とろけるように危ない音楽を実践していた<アシッド・リズムマシーン>スライ・ストーンのサウンドを連想させるのは決して偶然ではない。プリンスみずから、信仰告白にも似た種明かしを、サインでもするみたく公明正大に、このアルバムのジャケットに残している。そう、スライ・ストーンが1971年に発表した傑作アルバム『暴動』の<裏>ジャケットにそっくりじゃないか!
▼まさしく<時代>を伴侶とし、<ドラッグ&セックス&ロックンロール>とスワッピングを重ね、<ロック>を創造していたと言えるこの3人を、デビュ−前からアイドルにしていたらしいプリンスの嗅覚の鋭さは、いかにも彼らしいものだった。
▼いや、むしろ、プリンスがこの3人をアイドルと宣言することによって、彼らがあらためて再評価されたといっても過言ではなかった。
▼では、なにゆえにプリンスは悲しいのか。
▼それは、この3人のライブ・ビデオを観るだけですぐに分かる。
▼とりわけジミ・ヘンドリクスのライブは、あまりにも圧倒的で、しかも美しい。
▼このビデオを観れば、<ロック>は彼が一瞬にして創造し、すべての可能性を演じ切って死んでいったのだ、という事が露呈してしまう。
▼ジミ・ヘンドリクスを前にしては、ビートルズはただのポップスだし、クラプトンはただのブルースおたくじゃないか、などと暴言を吐きたくなるほどだ。
▼そしてあの頃、プリンスほどの天才が、すでに全てが演じられてしまったステージに立ち、このうえ何を創造すればいいのだと、ひそかに溜息をつき、やがてステージを捨て、ついには名前まで消したのだった。
▼悲しくないほうが不思議ではないか。
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