虚実の皮膜に爪たてて
2003年6月22日▼ミック・ジャガーがヴァン・モリスンの唄い方のまねをした事は有名な話だが、彼がジェリー・ルイスや志村けんのステージ・アクションのまねをした事実は余り知られていない。
▼デヴィッド・ボウイの「スターマン」のコ−ド進行が「オズの魔法使い」の「虹の彼方へ」と同じである事は有名な話だが、彼の「ライフ・オン・マース」がフランク・シナトラで知られる「マイ・ウエイ」によく似ている事実は余り知られていない。
▼世界のオザワの甥っ子のシングルカット曲でウキウキしながら公園を散歩する光景が唄われている楽曲のプロローグがBB.Kingの「エイント・ノーバディ・ホーム」と全く同じである事は余り知られていないが、ここまであからさまに同じだと<リスペクト>と看做されて全然お咎めなしだという事実はよく知られている。
▼最近のエリック・クラプトンがレイ・チャールスのそっくりさんとして唄っている事は有名な話であるが、若い頃のエリック・クラプトンと、デビュ−当時のロッド・スチュワートが、競ってオーティス・ラッシュのものまねをしていたのに私が気付いたのはつい先週の事である。どうりでロッドが<オーティス>に対するリスペクトを表わした曲があって、でもロッドとオーティス・レディングの関系ってピンとこないなあ、と思っていたのだが、これでその疑問が氷解したのであった。
▼五木ヒロシのデビュ−曲である「横浜たそがれ」の歌詞がスペインの詩人ロルカの詩に酷似している事は有名な話だが、この挿話がまるで山口洋子のインテリジェンスを保証するかのごとき美談として語られているのにはマコトに勇気づけられるのであるが、でもホントは、締めきりに終われて、ついやっちゃったんだと思うなあ。
▼タニムラ・シンジの「昂」が著作権切れのシャンソンをボレロのリズムに乗せるという天才的な発想から生まれた名作である事は有名な話だが、ミソラ・ヒバリの「河の流れのように」がその名作に艶歌のクリシェを乗せただけであのような名曲としてもう一度生まれ変わったという事実は余り知られていない。ちなみにミソラ・ヒバリの「港町13番地」はエルビス・プレスリーの「ブルー・ムーン」に匹敵するヒルビリーの名作であると私が信じていることも余り知られていないようである。
▼デヴィッド・ボウイの「スターマン」のコ−ド進行が「オズの魔法使い」の「虹の彼方へ」と同じである事は有名な話だが、彼の「ライフ・オン・マース」がフランク・シナトラで知られる「マイ・ウエイ」によく似ている事実は余り知られていない。
▼世界のオザワの甥っ子のシングルカット曲でウキウキしながら公園を散歩する光景が唄われている楽曲のプロローグがBB.Kingの「エイント・ノーバディ・ホーム」と全く同じである事は余り知られていないが、ここまであからさまに同じだと<リスペクト>と看做されて全然お咎めなしだという事実はよく知られている。
▼最近のエリック・クラプトンがレイ・チャールスのそっくりさんとして唄っている事は有名な話であるが、若い頃のエリック・クラプトンと、デビュ−当時のロッド・スチュワートが、競ってオーティス・ラッシュのものまねをしていたのに私が気付いたのはつい先週の事である。どうりでロッドが<オーティス>に対するリスペクトを表わした曲があって、でもロッドとオーティス・レディングの関系ってピンとこないなあ、と思っていたのだが、これでその疑問が氷解したのであった。
▼五木ヒロシのデビュ−曲である「横浜たそがれ」の歌詞がスペインの詩人ロルカの詩に酷似している事は有名な話だが、この挿話がまるで山口洋子のインテリジェンスを保証するかのごとき美談として語られているのにはマコトに勇気づけられるのであるが、でもホントは、締めきりに終われて、ついやっちゃったんだと思うなあ。
▼タニムラ・シンジの「昂」が著作権切れのシャンソンをボレロのリズムに乗せるという天才的な発想から生まれた名作である事は有名な話だが、ミソラ・ヒバリの「河の流れのように」がその名作に艶歌のクリシェを乗せただけであのような名曲としてもう一度生まれ変わったという事実は余り知られていない。ちなみにミソラ・ヒバリの「港町13番地」はエルビス・プレスリーの「ブルー・ムーン」に匹敵するヒルビリーの名作であると私が信じていることも余り知られていないようである。
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