カルキン君とギズモ君の共通点について
2003年6月11日▼そんな訳で、昨日の続きでジョン・ヒューズの話。と、なると、やっぱり『ホームアローン』について一言。
▼この映画におけるマコーレ・カルキン君の<トム・ソーヤぶりっこ>の魅力は、やはり素晴らしいというべきだ。けれど、家出してミシシッピ河を下ろうとしたトムと比べると、家族に取り残されたのを幸い、アメリカ的良心の象徴のように美しい<ジョン・ヒューズの家>をたった一人で守ろうとする8才の少年の姿は、冒険的と云うには、いささか保守的な気がしないでもないけどさ。コンビニで食料が豊富に調達できるのも何だかイージーだ。
▼ふと気がついたのだが、ここでのカルキン君は<トム・ソーヤ>というよりも、第一次世界大戦の空の英雄レッド・バロンになったり、電子タイプライターを駆使する国民的小説家(名前あったっけ?)になったり、卑しい街を孤独に歩く気高い私立探偵ジョー・クールになったりする、あのワールド・フェイマス・ビーグル犬、<スヌーピー>の姿をこそ彷佛とさせるじゃないか!
▼よく見てみると、表情や動きが、やっぱスヌーピーそのもんじゃん、カルキン君ってば。そうは思わないかい?
▼ところで、カルキン君が劇中のテレビで観ている映画なんだけどさ、一本はG・シートン監督の『三十四丁目の奇跡』。そして、もう一本が『素晴らしき哉、人生!』。
▼いやあ、アメリカ人って、ほんとうにキャプラが好きなんだなあ。
▼おっと、そういえば、可愛い主人公が映画のヒーローになりきって家庭や町を守る話といえば、『グレムリン』を思いだしたよ。
▼この映画の主人公であるギズモ君の魅力といえば、やはりスヌ−ピ−同様、ヒーローに対する模倣への情熱からくる遊戯精神に尽きるだろう。
▼そして、映画を観ただけで登場人物になりきってしまうグレムリン達がくりひろげる大騒ぎの一つ一つは、ジョー・ダンテ監督お気に入りの映画のパロディになっているという訳だ。
▼しかし、この映画でおもわず目を見張る二つの場面は、残念なことに数多いパロディシーンの中にはない。
▼一つはヒロインであるフィービー・ケイツがクリスマスの思い出を語るシーンだ。クリスマス・イブの夜に、父親が幼い頃の彼女を驚かそうとして煙突に入ったまではいいが、そのまま出られずに死んでしまったという話を、彼女が延々と語り続けて映画の流れを分断してしまう場面なんだけど、ここだけ、まるで<不条理劇>の趣きがあって、実に素晴らしい。もちろん皮肉さ。
▼新潮文庫の『クリスマス13の戦慄』というオムニバス短編集のなかに『煙突』という短編があって、ここでの父親の死に方がまったく同じなんだけど、これってアメリカのフォークロアなのかね。
▼さて、もう一つ目を見張ってしまうのが、映画館を占拠したグレムリン達が、やんやの喝采で鑑賞しているウォルト・ディズニーの『白雪姫』の映像。残念ながらジョー・ダンテ、このわずか数分間だけのディズニーに、『グレムリン』全編が敗北している。やっぱ映すべきじゃなかったね。なんてこと云いながら、この映画『グレムリン』のレーザーディスクを持っている私は何者だ。ほんとは大好きで、年に一回は必ず観てんだぜ。『2』まで持ってんだぜ。まったく自分にあきれるよ。
▼そして、この映画の制作はスティーブン・スピルバーグ。ついでながら、主人公の青年のママが台所で観ている映画が、またしても『素晴らしき哉、人生!』。
▼うーん、アメリカ人って、まったく信じらんないくらいキャプラが好きなんだなあ。
▼この映画におけるマコーレ・カルキン君の<トム・ソーヤぶりっこ>の魅力は、やはり素晴らしいというべきだ。けれど、家出してミシシッピ河を下ろうとしたトムと比べると、家族に取り残されたのを幸い、アメリカ的良心の象徴のように美しい<ジョン・ヒューズの家>をたった一人で守ろうとする8才の少年の姿は、冒険的と云うには、いささか保守的な気がしないでもないけどさ。コンビニで食料が豊富に調達できるのも何だかイージーだ。
▼ふと気がついたのだが、ここでのカルキン君は<トム・ソーヤ>というよりも、第一次世界大戦の空の英雄レッド・バロンになったり、電子タイプライターを駆使する国民的小説家(名前あったっけ?)になったり、卑しい街を孤独に歩く気高い私立探偵ジョー・クールになったりする、あのワールド・フェイマス・ビーグル犬、<スヌーピー>の姿をこそ彷佛とさせるじゃないか!
▼よく見てみると、表情や動きが、やっぱスヌーピーそのもんじゃん、カルキン君ってば。そうは思わないかい?
▼ところで、カルキン君が劇中のテレビで観ている映画なんだけどさ、一本はG・シートン監督の『三十四丁目の奇跡』。そして、もう一本が『素晴らしき哉、人生!』。
▼いやあ、アメリカ人って、ほんとうにキャプラが好きなんだなあ。
▼おっと、そういえば、可愛い主人公が映画のヒーローになりきって家庭や町を守る話といえば、『グレムリン』を思いだしたよ。
▼この映画の主人公であるギズモ君の魅力といえば、やはりスヌ−ピ−同様、ヒーローに対する模倣への情熱からくる遊戯精神に尽きるだろう。
▼そして、映画を観ただけで登場人物になりきってしまうグレムリン達がくりひろげる大騒ぎの一つ一つは、ジョー・ダンテ監督お気に入りの映画のパロディになっているという訳だ。
▼しかし、この映画でおもわず目を見張る二つの場面は、残念なことに数多いパロディシーンの中にはない。
▼一つはヒロインであるフィービー・ケイツがクリスマスの思い出を語るシーンだ。クリスマス・イブの夜に、父親が幼い頃の彼女を驚かそうとして煙突に入ったまではいいが、そのまま出られずに死んでしまったという話を、彼女が延々と語り続けて映画の流れを分断してしまう場面なんだけど、ここだけ、まるで<不条理劇>の趣きがあって、実に素晴らしい。もちろん皮肉さ。
▼新潮文庫の『クリスマス13の戦慄』というオムニバス短編集のなかに『煙突』という短編があって、ここでの父親の死に方がまったく同じなんだけど、これってアメリカのフォークロアなのかね。
▼さて、もう一つ目を見張ってしまうのが、映画館を占拠したグレムリン達が、やんやの喝采で鑑賞しているウォルト・ディズニーの『白雪姫』の映像。残念ながらジョー・ダンテ、このわずか数分間だけのディズニーに、『グレムリン』全編が敗北している。やっぱ映すべきじゃなかったね。なんてこと云いながら、この映画『グレムリン』のレーザーディスクを持っている私は何者だ。ほんとは大好きで、年に一回は必ず観てんだぜ。『2』まで持ってんだぜ。まったく自分にあきれるよ。
▼そして、この映画の制作はスティーブン・スピルバーグ。ついでながら、主人公の青年のママが台所で観ている映画が、またしても『素晴らしき哉、人生!』。
▼うーん、アメリカ人って、まったく信じらんないくらいキャプラが好きなんだなあ。
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