<天使>と云っても、そこはニューヨーカー。無垢ってわけじゃないんだ。
2003年6月9日▼デイモン・ラニアンという作家にはじめて出会ったのは、実家の書庫の奥に埃まみれで積んであったハヤカワ・ミステリ・マガジンのバックナンバーだった。翻訳者の加島詳造氏による熱い前説に促されるように読んでみたら、その、あまりにも粋なラニアンの世界に、ぼーっとなったことを覚えている。
▼デイモン・ラニアンはニューヨークのブロードウェイだけを描いた短編作家だ。歴史が浅いことを気にやんでいるアメリカ合衆国にあって、最良の伝統文化とよぶにふさわしいマーク・トウェイン直系のジャーナリスト兼ユーモリスト作家のひとりである。
▼『ブロードウェイの天使』と題された、この短編集にあっても、彼の<こだわり>はすがすがしいほどで、タイムズ・スクエアからコロンバス・サークルまでの、劇場が立ち並ぶメイン・ストリート界隈だけを舞台に、その裏町に住む住民達を描いているのだった。
▼彼の文体は、ニューヨークの下町育ちの語り口であると云われる。登場人物がふんだんにスラングを喋りまくるというラニアンの世界であるが、奔放自在な原文と格闘してくれた加藤詳造氏の翻訳によって、私たちは十分にラニアンの粋な話を楽しむことができる。
▼思えばミステリ・マガジンのバックナンバーをぱらぱら捲っていたときも、私は単純なミステリを探していたわけで、加島氏の親切かつ詳細な前説がなければラニアンみたいな人情話など読まなかったに違いない。加島氏に感謝。
▼この短編集の中の白眉は、アメリカ最大の映画作家のひとりであるフランク・キャプラが、二度も映画化したことで有名な『マダム・ラ・ギンプ』に違いない。アメリカ人はクリスマスには必ずキャプラの『素晴らしき哉、人生!』を観るらしいが、このハートウォーミングな短編も、クリスマス・シーズンにこそふさわしい。
▼一日だけの、豪華きわまりないクリスマス・プレゼントの内容は、当然ここには記さないでおくが、この<善意の物語>に登場して、<天使>の役を果たすのは、なぜかバイタリティに溢れた<ギャング達>であり、そして、彼らは犯罪の方もきっちりと忘れない。そこんとこが実に何とも<ベリー・ベリー・ベリー・ニューヨーカー>なんだよなあ、とだけ、つけ加えておかねばなるまい。
▼デイモン・ラニアンはニューヨークのブロードウェイだけを描いた短編作家だ。歴史が浅いことを気にやんでいるアメリカ合衆国にあって、最良の伝統文化とよぶにふさわしいマーク・トウェイン直系のジャーナリスト兼ユーモリスト作家のひとりである。
▼『ブロードウェイの天使』と題された、この短編集にあっても、彼の<こだわり>はすがすがしいほどで、タイムズ・スクエアからコロンバス・サークルまでの、劇場が立ち並ぶメイン・ストリート界隈だけを舞台に、その裏町に住む住民達を描いているのだった。
▼彼の文体は、ニューヨークの下町育ちの語り口であると云われる。登場人物がふんだんにスラングを喋りまくるというラニアンの世界であるが、奔放自在な原文と格闘してくれた加藤詳造氏の翻訳によって、私たちは十分にラニアンの粋な話を楽しむことができる。
▼思えばミステリ・マガジンのバックナンバーをぱらぱら捲っていたときも、私は単純なミステリを探していたわけで、加島氏の親切かつ詳細な前説がなければラニアンみたいな人情話など読まなかったに違いない。加島氏に感謝。
▼この短編集の中の白眉は、アメリカ最大の映画作家のひとりであるフランク・キャプラが、二度も映画化したことで有名な『マダム・ラ・ギンプ』に違いない。アメリカ人はクリスマスには必ずキャプラの『素晴らしき哉、人生!』を観るらしいが、このハートウォーミングな短編も、クリスマス・シーズンにこそふさわしい。
▼一日だけの、豪華きわまりないクリスマス・プレゼントの内容は、当然ここには記さないでおくが、この<善意の物語>に登場して、<天使>の役を果たすのは、なぜかバイタリティに溢れた<ギャング達>であり、そして、彼らは犯罪の方もきっちりと忘れない。そこんとこが実に何とも<ベリー・ベリー・ベリー・ニューヨーカー>なんだよなあ、とだけ、つけ加えておかねばなるまい。
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