ポランスキーの女たち
2003年6月4日▼書庫の中を探し物してたら、録画しただけで観てもいないビデオが山ほど出てきて、嬉しいやら迷惑やら。そのうえ、今期のJリーグは、どうやら鹿島アントラーズの優勝もなさそうだし、ブラウン管のスケジュールはぽっかり空いている。そんな訳で、つい映画三昧の日曜日になってしまった。
▼観た映画は二本。ナスタ−シャ・キンスキ−主演の『ハーレム』とエマニュエル・セイナー主演の『赤い航路』。共通項は、二人ともロマン・ポランスキーの女だったということだ。
▼ナスターシャ・キンスキーといえば、ニンフのように軽そうな髪、つんとすました白痴的な鼻、ウォーホルが描いたミック・ジャガーのような唇。そしてなにより、心の奥をけっして覗かせず、それどころか目の前の他者の視線を鏡のように反射してしまうような、あの孤独な瞳が圧倒的な印象だ。
▼この圧倒的ってところが問題なわけで、いささか常規を逸したとでも形容したいこの孤独な瞳がなければ、モデル然とした美貌の女優という平凡な印象しか残せないだろう。
▼けれどもこの瞳のおかげで、彼女は生まれながらのファムファタールとしての説得力を手に入れた。彼女が演じるのはつねに、美貌ゆえに人生のすべてを翻弄される運命の女だ。そしていつでも、翻弄されるまえの幸福な姿よりも、異様な事件や、薄幸な運命の渦中にある彼女のほうが輝いている。
▼この作品での彼女もまた、アラブの王子によってニューヨークから砂漠のハーレムへとさらわれてしまうのだが、異国の男からの崇拝的な視線に晒されて、いつしか倒錯的な愛にめざめていくという類型的な物語に、あの孤独な瞳が特権的なリアリティを与えている。彼女がいなけりゃ『ナインハーフ』のアラブ版にすぎない。
▼ところでこの映画の中に、砂漠を疾駆する黒いフェラーリが登場するのだが、この跳ね馬ったら、ハーレムの女たちの誰よりも美しいのだから恐れいったね(キンスキーは別だってば)。
▼そしてエマニュエル・セイナーといえば、先ほど指摘したようにロリータ症候群の患者として名高いロマン・ポランスキー監督の女であるわけだが、そういえば、かつて、14才の少女だったナスターシャ・キンスキーを南の島にさらい、幼い情婦に仕立てあげ、そのあげく手練れのマネージャーだった母親に脅迫されて、自作である『テス』の主演女優として銀幕にデビューさせたのも、あれは確かロマン・ポランスキー君だったっけ。
▼やはり彼の監督作品『フランティック』でデビューしたエマニュエルだが、やっぱりナスターシャ・キンスキーによく似ている。
▼あの特権的な瞳がないだけで、まるでモデルのように整った美貌がそっくりで、だけど、まるでモデルのようにおぼつかない演技で観る者の心を逆立ててくれた。これは悪口じゃないよ。パリという街がどのようにして異邦人をうちのめすのかを疑似体験させてくれる、ささくれだったような皮膚感覚こそが、『フランティック』という映画の魅力なんだからさ。
▼そして、動きのひとつひとつがファッション雑誌のグラビアのように美しく、だけどそのひとつひとつが円滑な連動に欠けるためにぎくしゃくとしているという彼女独特の演技が、この『赤い航路』ではさらに磨きがかかっている。
▼あれはもしかしてヴォーガー・ダンスの先取りではなかったろうか。だとすると、彼女の作品には必ず、男の視線を十分に意識しながら、唐突に挑発的なダンスをはじめるシーンがあるわけがよーくわかる。なにしろ彼女ったら、シャロン・ストーンよりクールだし、マドンナよりもヴォーグしてるもんね。
▼おっと、いまさら何を云ってんだろ。これ、いつの映画だよ全く。
▼観た映画は二本。ナスタ−シャ・キンスキ−主演の『ハーレム』とエマニュエル・セイナー主演の『赤い航路』。共通項は、二人ともロマン・ポランスキーの女だったということだ。
▼ナスターシャ・キンスキーといえば、ニンフのように軽そうな髪、つんとすました白痴的な鼻、ウォーホルが描いたミック・ジャガーのような唇。そしてなにより、心の奥をけっして覗かせず、それどころか目の前の他者の視線を鏡のように反射してしまうような、あの孤独な瞳が圧倒的な印象だ。
▼この圧倒的ってところが問題なわけで、いささか常規を逸したとでも形容したいこの孤独な瞳がなければ、モデル然とした美貌の女優という平凡な印象しか残せないだろう。
▼けれどもこの瞳のおかげで、彼女は生まれながらのファムファタールとしての説得力を手に入れた。彼女が演じるのはつねに、美貌ゆえに人生のすべてを翻弄される運命の女だ。そしていつでも、翻弄されるまえの幸福な姿よりも、異様な事件や、薄幸な運命の渦中にある彼女のほうが輝いている。
▼この作品での彼女もまた、アラブの王子によってニューヨークから砂漠のハーレムへとさらわれてしまうのだが、異国の男からの崇拝的な視線に晒されて、いつしか倒錯的な愛にめざめていくという類型的な物語に、あの孤独な瞳が特権的なリアリティを与えている。彼女がいなけりゃ『ナインハーフ』のアラブ版にすぎない。
▼ところでこの映画の中に、砂漠を疾駆する黒いフェラーリが登場するのだが、この跳ね馬ったら、ハーレムの女たちの誰よりも美しいのだから恐れいったね(キンスキーは別だってば)。
▼そしてエマニュエル・セイナーといえば、先ほど指摘したようにロリータ症候群の患者として名高いロマン・ポランスキー監督の女であるわけだが、そういえば、かつて、14才の少女だったナスターシャ・キンスキーを南の島にさらい、幼い情婦に仕立てあげ、そのあげく手練れのマネージャーだった母親に脅迫されて、自作である『テス』の主演女優として銀幕にデビューさせたのも、あれは確かロマン・ポランスキー君だったっけ。
▼やはり彼の監督作品『フランティック』でデビューしたエマニュエルだが、やっぱりナスターシャ・キンスキーによく似ている。
▼あの特権的な瞳がないだけで、まるでモデルのように整った美貌がそっくりで、だけど、まるでモデルのようにおぼつかない演技で観る者の心を逆立ててくれた。これは悪口じゃないよ。パリという街がどのようにして異邦人をうちのめすのかを疑似体験させてくれる、ささくれだったような皮膚感覚こそが、『フランティック』という映画の魅力なんだからさ。
▼そして、動きのひとつひとつがファッション雑誌のグラビアのように美しく、だけどそのひとつひとつが円滑な連動に欠けるためにぎくしゃくとしているという彼女独特の演技が、この『赤い航路』ではさらに磨きがかかっている。
▼あれはもしかしてヴォーガー・ダンスの先取りではなかったろうか。だとすると、彼女の作品には必ず、男の視線を十分に意識しながら、唐突に挑発的なダンスをはじめるシーンがあるわけがよーくわかる。なにしろ彼女ったら、シャロン・ストーンよりクールだし、マドンナよりもヴォーグしてるもんね。
▼おっと、いまさら何を云ってんだろ。これ、いつの映画だよ全く。
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