前夜は朦朧としていたらしく、救済などという大層なことばを使っており、夜があけたら赤面ものでしたが、他にもコレクターだのマニアだの、わざわざ使う必要のないことばを連発しており、はなはだ失敬な話ではありませんか。まあ「 君の存在じたいが失敬である」と云われれば、それまですが。

それで、失敬ついでによく考えてみたら、救済や赦しのもつ効能を<緊張からの解放>とでも定義してみれば、何のことはない、良くできたエンタテインメントならば必ず備えているものではありませんか。ならば私はただの映画好きである。

それにしても、最近のハリウッド映画は、エンタテインメントの作法を少しだけ逸脱したような作品、(本音をいえば)脱構築に失敗して落盤事故を起こしたような物語、(ついでにいえば)観客と作り手にあったはずの掟を無神経に破っただけの映画が増えているようで、映画館をでたあと、何やら腑に落ちない感覚を残すことがあります。

こうした映画は詐欺にでもあったような不快感がちらついて、私を心地よく緊張から解放させてくれないのです。もちろん『第六感』や『常連の容疑者ども』や『コピー犯』のことをいっているんだけどさ。

あああ。また眠くなってきたので、ジャコ・パストリアスのファースト・アルバムをiTunes(MP3再生ソフト)で選択。ジャコのハンドメイド・フラット・ベースをヘッドホンで唸らせながら続けさせていただきますと(なんて、こういうノリが翌朝になって赤面ものだが、と思いつつもキイを打つ手をとめようとはしないのだが)、それでは、最近の作品で上出来のウェルメイドといえるものは何でしょうか。

私はクリント・イーストウッドのあの映画に感心したのですが、ええとタイトルは忘れたのですが、かれがベテランの事件記者となって、黒人の死刑囚の無実を晴らすってやつなんですが、何の変哲もないサスペンス映画ではありますが、その手だれの職人芸に舌鼓を打ったあと、これは傑作と呼ぶしかない!と思いました。(じゃあタイトルぐらい覚えとけよ)。

それでですね。イーストウッドですから例によって、観たあとに、あれってモノクロ映画だったっけ、と錯覚を起こしかねぬほど暗い画面の連続のなかで、思わず笑っちゃったシーンがあるんです。

それは、雨あがりを思わせる<夜の濡れた舗道>、つまり、かつてのモノクロ時代のハリウッド映画のお約束を再現しているシーンです。

ビリー・ワイルダーの『怒れる12人の男』のラスト・シーンが鮮やかだったことを覚えています。陪審員に選ばれた12人の男たちが密室にこもり、剣呑な議論を続けた果て、ようやく真実を暴いて、数十時間ぶりに建物を出ると、そこには雨あがりの夜の濡れた舗道が広がっている。このシーンはすがすがしい開放感に溢れていました。

この<夜の濡れた舗道>というのは、演出である以前に、当時のフィルムでは夜間撮影が困難だったので、鋪道に水を撒き、光を反射させて撮影していたとかいう逸話を記憶しております。だから、現在の撮影技術からして、この映画におけるイーストウッドの演出は、<かつての黄金のハリウッド映画への敬意を表すための引用である>はずだと思うのですが。どうなんでしょう。思わず笑っちゃったのは、その洒落っ気に対してなのです。

あああああ。ここでついジャコに聞き入ってしまいホワイト・アウト。およそ40分間沈黙。なんてことだ。もう限界だから、寝ます。

思い出した。てゆーか、今日テレビでやってたじゃん。『トルー・クライム』です。


 



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