ブック・デザインのはじまりとおわり。
2003年9月23日▼駅前まで出かけて本屋を覗いてみたら、ユリイカの特集が<ブック・デザイン>。
▼ユリイカで特集されるということは、この業種もそろそろオワリということかな(笑)。
▼小説の終焉については、さきほど平積みの書棚で見届けたばかりであるし(例の文芸社のウワサの本のことね)、ブック・デザインの終焉を目の当たり、というか、わが手の指先が触れている間に実感するのも面白い趣向かもしれぬ。
▼それにしても、本の集積が<風景化>しているという指摘は、海外で書店を覗けば誰もがとっくに感じていたことだろう。ねえ、Porphyさん。
▼六本木からWAVEが消えて久しい今頃になって何を言っているのか、と思ったけど、ブック・デザインについて今まで発言する機会などなかったというのが真相か。失礼しました。
寸暇
2003年9月22日▼ようやくA4・200ページ強のレイアウトがほぼ終了。
▼PowerBookの小さな液晶画面でよくやるよ、と、自分でもつくづく思う。
▼高かったけど、これはやはり8ボタン・マウスのおかげだよ。ふたつのボタンに表示率アップとダウンを設定してから格段に作業効率があがったもんね。
▼MX-500に感謝。
▼さて、クライアントにプリント・アウトした指定紙を渡したから、あとはしばらく校正待ちだ。
▼だけど表紙のデザインがまだなんだよね。まあ、表紙だけはゆっくりやるか。
▼とも言ってはおられぬ。実は、たてつづけにチベットの写真集の制作が待っている、とつぶやきつつ、昨夜は久しぶりにミステリを開いて読み干した。
▼「夜のフロスト」。
▼ごぞんじ最低に下品で最高に仕事熱心な、不眠不休の男、フロスト警部が活躍するシリーズの第三弾。
▼後書きにも書いてあるけど、まさしく<メグレ+ドーヴァー割りそこねの2>という風情のエンターテイメントの傑作だ。
▼しかし、ホントに寝ないヒトたちがでてくるのだよ。
▼そんな彼らが、ぶつぶつと文句を垂れ流しながら昼も夜もなく捜査を続けているんだけど、実のところ、読んでいるこっちまで疲労困ぱいしちまったよ。
▼忙しいときの寸暇を惜しんで読むのには適さないとだけ指摘しておこう。
▼PowerBookの小さな液晶画面でよくやるよ、と、自分でもつくづく思う。
▼高かったけど、これはやはり8ボタン・マウスのおかげだよ。ふたつのボタンに表示率アップとダウンを設定してから格段に作業効率があがったもんね。
▼MX-500に感謝。
▼さて、クライアントにプリント・アウトした指定紙を渡したから、あとはしばらく校正待ちだ。
▼だけど表紙のデザインがまだなんだよね。まあ、表紙だけはゆっくりやるか。
▼とも言ってはおられぬ。実は、たてつづけにチベットの写真集の制作が待っている、とつぶやきつつ、昨夜は久しぶりにミステリを開いて読み干した。
▼「夜のフロスト」。
▼ごぞんじ最低に下品で最高に仕事熱心な、不眠不休の男、フロスト警部が活躍するシリーズの第三弾。
▼後書きにも書いてあるけど、まさしく<メグレ+ドーヴァー割りそこねの2>という風情のエンターテイメントの傑作だ。
▼しかし、ホントに寝ないヒトたちがでてくるのだよ。
▼そんな彼らが、ぶつぶつと文句を垂れ流しながら昼も夜もなく捜査を続けているんだけど、実のところ、読んでいるこっちまで疲労困ぱいしちまったよ。
▼忙しいときの寸暇を惜しんで読むのには適さないとだけ指摘しておこう。
Nothing is my buiness
2003年9月12日▼昨晩、閉店まじかの東急ストアで小さなアイヴィーの鉢植を買った。250円だった。デスクの上に飾ろうと思ったのだ。
▼帰宅後、早速、PowerBookの隣に置いてみる。最初のイメージではPowerBookの左側にあるトランスルーセットのライトの隣に置こうと思っていたのだが、鉢植が思ったより大きいので、ちょっと無理かな。
▼それに、そこからは、資料を挟んだアーム・ホルダーが無骨な腕をデスクの上に広げているので、せっかくのアイヴィーが資料の下に隠れて見えなくなってしまう。
▼そこで今度はPowerBookの右側、無印で買ったグレイのマウス・パッドの奥に置いてみた。
▼悪くない。
▼そうするとアイヴィーの一本だけ横に大きく伸びた枝が、マウスのほうへ手を差し伸べてくるような風情だ。
▼可愛くて、仕事の合間に、つい、アイヴィーの葉脈を指で撫でてしまう。それほど手許に近い場所に置くことになった。
▼鉢植と書いたが、実は苗木だ。鉢のかわりに不粋なビニールのシートにくるまったままで売られていた。
▼早く鉢を買わなければならない。今はそのビニールのシートの下に、インドネシア製の、白地に紺の玉葱模様が入ったティーカップの皿を敷いているだけだ。
就職しないで暮すには(その1)
2003年9月11日▼就職しないで暮すには、やはりまず<人生設計>というものを考慮しないことが大切でしょう。
▼いや、むしろ、もっと積極的に、<人生抛擲>とでもいう姿勢が必要なのではないでしょうか。
▼スローライフならぬ、スロー・ザ・ライフ。人生を投げ捨てなければならないのです。
▼などと書いている私はというと、自分の部屋でSOHOごっこしながら暮しています。
▼朝、起きるとまずMacのパワーオン・キイを押してシャワーを浴びて、メールのチェックをすましてから、キッチンのラジオを付けてから朝食。
▼ラジオはチューニングボタンが壊れていて、J-Waveしか聞けません。トーストとミルクティーとフルーツを胃袋に入れてから仕事部屋に向かいます。
▼まず何をするかというと、iTunesという音楽ソフトを起動して、いつも一日中流しているインターネットのストリーミングラジオにチューニング。
▼最近はSecretAgentという局がお気に入り。
▼映画のサウンド・トラックを音源にしたハウスをずーと流しています。
▼ときどき「アイ・アム・ボンド、ジェームス・ボンド」とか「ウオッカ・マティーニ・プリーズ、シェイク、ノット・ステア」とかいうセリフがジングルがわりに流れます。なんじゃこりゃ、と思ったのは最初だけ。この局の名前はSecretAgentですからね。007がイメ−ジ・キャラクタ−(笑)というわけです。
▼でもって、あとは夜中までMacで仕事です。
▼通勤しなくてすむし、ラフなジーンズとTシャツで一年中過ごせるのが唯一の美点。
▼それから。あとはお気に入りの美しい道具だけを手元に侍らせることができることでしょうか。
▼金持ちになれないかわりに、それくらいは贅沢をしています。
▼ではまた。
▼いや、むしろ、もっと積極的に、<人生抛擲>とでもいう姿勢が必要なのではないでしょうか。
▼スローライフならぬ、スロー・ザ・ライフ。人生を投げ捨てなければならないのです。
▼などと書いている私はというと、自分の部屋でSOHOごっこしながら暮しています。
▼朝、起きるとまずMacのパワーオン・キイを押してシャワーを浴びて、メールのチェックをすましてから、キッチンのラジオを付けてから朝食。
▼ラジオはチューニングボタンが壊れていて、J-Waveしか聞けません。トーストとミルクティーとフルーツを胃袋に入れてから仕事部屋に向かいます。
▼まず何をするかというと、iTunesという音楽ソフトを起動して、いつも一日中流しているインターネットのストリーミングラジオにチューニング。
▼最近はSecretAgentという局がお気に入り。
▼映画のサウンド・トラックを音源にしたハウスをずーと流しています。
▼ときどき「アイ・アム・ボンド、ジェームス・ボンド」とか「ウオッカ・マティーニ・プリーズ、シェイク、ノット・ステア」とかいうセリフがジングルがわりに流れます。なんじゃこりゃ、と思ったのは最初だけ。この局の名前はSecretAgentですからね。007がイメ−ジ・キャラクタ−(笑)というわけです。
▼でもって、あとは夜中までMacで仕事です。
▼通勤しなくてすむし、ラフなジーンズとTシャツで一年中過ごせるのが唯一の美点。
▼それから。あとはお気に入りの美しい道具だけを手元に侍らせることができることでしょうか。
▼金持ちになれないかわりに、それくらいは贅沢をしています。
▼ではまた。
ロジャー・アクロイドはホーンブロワーの夢を見るか?
2003年8月17日▼今日は雨だから、大好きな「ポワロ・ドラマ」をNHKがやるのでは、と期待していたら、案の定、長篇の「アクロイド殺人事件」を放映。
▼濃いミルクティーを飲みながら見ていたら、いきなり馴染みの顔が登場。
▼あ、あれはホレイショー・ホーンブロワーの親友、アーチー・ケネディ君ではないか!
▼アーチー君のサイトはここ→<http://www.angelfire.com/celeb/jamiebamber/>
▼しかし、なんと、エルキュール・ポワロの名作ドラマ「アクロイド殺人事件」に、ロジャー・アクロイドの不肖の甥っ子ラルフ・ペイトン役で出ていたとは!
▼気になったので、ネットでアーチー・ケネディことJamie Bamberを検索してみた→<http://www.jamiebamber.co.uk/>
しかし、結局ここではわからず、次にみた→<http://www.imdb.com/Name?Bamber,+Jamie>のフィルモグラフィーでアクロイドの名前を発見。
▼"Murder of Roger Ackroyd, The (2000) (TV) .... Ralph Paton
... aka Poirot: The Murder of Roger Ackroyd (2000) (TV) (USA)"
▼ついでに「アクロイド事件」のインフォはここでどうぞ→<http://www.imdb.com/Title?0236523>
▼それにしても、このドラマは昔の放映時に見たことがあるのだが、その時にはさほどの印象は残っていなかったらしく、まったく気づかなかったよ。
▼いやあ「アーチーはやっぱり、ホーンブロワー君の友人役が板についているのだ!」などとしみじみ思う。
▼でも、もうアーチーには会えないんだね。ドラマの中で死んでしまったからさ。しくしく。
▼それにしても、このポワロ・シリーズのもうひとつの魅力として、モダン・インテリアへのマニアックな執着があげられると思うが、今日のロジャー・アクロイドの豪邸もまた見事な建築物。まさしくアールデコとモダンの素晴らしい融合であった。
▼これらの建築物を巡るイギリス・ツアーとかないかなあ。
▼濃いミルクティーを飲みながら見ていたら、いきなり馴染みの顔が登場。
▼あ、あれはホレイショー・ホーンブロワーの親友、アーチー・ケネディ君ではないか!
▼アーチー君のサイトはここ→<http://www.angelfire.com/celeb/jamiebamber/>
▼しかし、なんと、エルキュール・ポワロの名作ドラマ「アクロイド殺人事件」に、ロジャー・アクロイドの不肖の甥っ子ラルフ・ペイトン役で出ていたとは!
▼気になったので、ネットでアーチー・ケネディことJamie Bamberを検索してみた→<http://www.jamiebamber.co.uk/>
しかし、結局ここではわからず、次にみた→<http://www.imdb.com/Name?Bamber,+Jamie>のフィルモグラフィーでアクロイドの名前を発見。
▼"Murder of Roger Ackroyd, The (2000) (TV) .... Ralph Paton
... aka Poirot: The Murder of Roger Ackroyd (2000) (TV) (USA)"
▼ついでに「アクロイド事件」のインフォはここでどうぞ→<http://www.imdb.com/Title?0236523>
▼それにしても、このドラマは昔の放映時に見たことがあるのだが、その時にはさほどの印象は残っていなかったらしく、まったく気づかなかったよ。
▼いやあ「アーチーはやっぱり、ホーンブロワー君の友人役が板についているのだ!」などとしみじみ思う。
▼でも、もうアーチーには会えないんだね。ドラマの中で死んでしまったからさ。しくしく。
▼それにしても、このポワロ・シリーズのもうひとつの魅力として、モダン・インテリアへのマニアックな執着があげられると思うが、今日のロジャー・アクロイドの豪邸もまた見事な建築物。まさしくアールデコとモダンの素晴らしい融合であった。
▼これらの建築物を巡るイギリス・ツアーとかないかなあ。
心臓に悪い
2003年8月14日私は子供の頃から心臓肥大なので、先日行われたサッカー・コンフェデ杯の準決勝において、ピッチ上で急死したカメルーン代表のフォエ選手のことが他人事とは思えないのですが、それというのも、以前、精力的に携わっていたある女性雑誌が潰れてしまい、ふいに時間をもてあますことになり、しかし何事にも全くやる気が起きなくて、それでもようやく始めたことといったら、まるで日課のように自宅のある恵比須から多摩川までMTBで通い、そのルートは日によって異なるのですが、たとえば駒沢通りを駆け降りて、環七を回って大森経由で六郷に入り、多摩川沿いの自転車道路を周回し、土手に転がって昼飯を食い、ベンチで昼寝したあと、今度は旧東海道を通って五反田まで駆け上がり、山手線沿いの目黒図書館に寄ったりしたながら恵比須のアパートに帰宅するやいなや吐き気に襲われて、床に30分ほどぶったおれていたりしたのですが、あれはやっぱり、健康に問題があったようでして、あれからもうずいぶん経つのですが、これといって改善もみられず、かといって病院に行くでなし、さあてこれからというところではありますが、おあとがよろしいようで。
13日
2003年8月5日▼先日、地上波で「13デイズ」をやっていましたね。
▼ケヴィン・コスナー主演映画では、「ファンダンゴ」とこれを観ていなかったので、さっそくチャンネルを合わせてみました。
▼なるほど。ジョン・F・ケネディの優柔不断ぶりと、<オプション>好きのところが良く描かれていましたね。
▼JFKは何事にもオプションを用意しておかずにはいられなかったそうで、自己の意志というものを持たず、即断することを回避しつづける、いわば接触反応タイプの人間だったわけですね。そういう人間が大統領になったらどうなるか。そこんところが興味深かったです。
▼あと、身内しかいないところでは、彼に松葉杖でも突かせればもっと良かったのでは。当時すでに重病人だったのですよね、確か。
▼しかし、あれでは、JFKは共和党支持の軍部に暗殺されたのだ、と言っているようなものです。いいんですかね。
▼それに、マクナマラが、あれでいらぬ自信をつけてしまい、「おれはゲリラ対策も十分にこなせる」と過信し、ベトナム戦争の泥沼が始まるのですから、英雄視もほどほどにしてもらいたいものだ、とも思いました。
▼ケヴィン・コスナー主演映画では、「ファンダンゴ」とこれを観ていなかったので、さっそくチャンネルを合わせてみました。
▼なるほど。ジョン・F・ケネディの優柔不断ぶりと、<オプション>好きのところが良く描かれていましたね。
▼JFKは何事にもオプションを用意しておかずにはいられなかったそうで、自己の意志というものを持たず、即断することを回避しつづける、いわば接触反応タイプの人間だったわけですね。そういう人間が大統領になったらどうなるか。そこんところが興味深かったです。
▼あと、身内しかいないところでは、彼に松葉杖でも突かせればもっと良かったのでは。当時すでに重病人だったのですよね、確か。
▼しかし、あれでは、JFKは共和党支持の軍部に暗殺されたのだ、と言っているようなものです。いいんですかね。
▼それに、マクナマラが、あれでいらぬ自信をつけてしまい、「おれはゲリラ対策も十分にこなせる」と過信し、ベトナム戦争の泥沼が始まるのですから、英雄視もほどほどにしてもらいたいものだ、とも思いました。
ダリについてのメモ
2003年8月2日▼サルバドール・ダリの愛人といえばガラ。
▼ガラは詩人エリュアールの妻としてダリと会い、次の瞬間にはふたりして駆落ちしていたという女性である。
▼スラブ系の夢想家といえばシャガールが有名だが、ガラもスラブ系。
▼ガラはダリにとって汲めど尽きぬインスピレーションの源だった。
▼ガラを失ったエリュアールのその後と、ガラを得たダリのその後をみれば、ガラがあの芸術家の女神リリスであった、という私の説は正しいと思うのであるが(笑)。
▼いずれにしてもダリは自分に見える風景をそのまま描いていたような画家であるとも言える。それが今度はガラをそのまま描きはじめただけだったのだ。
▼ダリの別荘があるカダケスくんだりまで遊びに行ったとき、ダリが描いていた風景がそのまんま存在していたことに大きな衝撃を受けたものだ。
▼あ、そのまんま、描いてる。ってね。
▼ついでに脇道。
▼芸術運動を青春群像として描くという視点があるよね。映画化するさいによく使われる陳腐な手法だけどさ、しかし、これ、馬鹿にしたものでなく、結構、真実の一端を掴むことがある。
▼たとえばダリはパリに行き、シュールレアリスム運動に参加する前にマドリードの美術学校にいたが、その頃、その学校にはロルカとブニュエルが先輩として在学中だった。
▼そして、その学校では、ブニュエルを王様とし、ロルカを賢人とし、ダリを末っ子の天才児とするような馬鹿騒ぎが毎日のように繰り広げられたのだが、この頃の馬鹿騒ぎのうちに作られた仲間内だけにわかるような符牒(イメージやアイデア)が、その後の彼らの作品に色濃く描かれていることには驚かされる。
▼この影響と比べると、シュールレアリスムはダリにさほどの痕跡は残していないのでは?と思えるほどだ。
▼まるで<市民ケーン>の<ローズバッド>みたいな話だが、ダリやブニュエルやロルカに限らず、<ピレネーを越えたらアフリカ>と呼ばれた野蛮人であるスペイン人にとっては、無意識への跳躍などは日常的なもので、さほど斬新な行為ではなかったのかもしれない、と、思ったものだ。
▼ガラは詩人エリュアールの妻としてダリと会い、次の瞬間にはふたりして駆落ちしていたという女性である。
▼スラブ系の夢想家といえばシャガールが有名だが、ガラもスラブ系。
▼ガラはダリにとって汲めど尽きぬインスピレーションの源だった。
▼ガラを失ったエリュアールのその後と、ガラを得たダリのその後をみれば、ガラがあの芸術家の女神リリスであった、という私の説は正しいと思うのであるが(笑)。
▼いずれにしてもダリは自分に見える風景をそのまま描いていたような画家であるとも言える。それが今度はガラをそのまま描きはじめただけだったのだ。
▼ダリの別荘があるカダケスくんだりまで遊びに行ったとき、ダリが描いていた風景がそのまんま存在していたことに大きな衝撃を受けたものだ。
▼あ、そのまんま、描いてる。ってね。
▼ついでに脇道。
▼芸術運動を青春群像として描くという視点があるよね。映画化するさいによく使われる陳腐な手法だけどさ、しかし、これ、馬鹿にしたものでなく、結構、真実の一端を掴むことがある。
▼たとえばダリはパリに行き、シュールレアリスム運動に参加する前にマドリードの美術学校にいたが、その頃、その学校にはロルカとブニュエルが先輩として在学中だった。
▼そして、その学校では、ブニュエルを王様とし、ロルカを賢人とし、ダリを末っ子の天才児とするような馬鹿騒ぎが毎日のように繰り広げられたのだが、この頃の馬鹿騒ぎのうちに作られた仲間内だけにわかるような符牒(イメージやアイデア)が、その後の彼らの作品に色濃く描かれていることには驚かされる。
▼この影響と比べると、シュールレアリスムはダリにさほどの痕跡は残していないのでは?と思えるほどだ。
▼まるで<市民ケーン>の<ローズバッド>みたいな話だが、ダリやブニュエルやロルカに限らず、<ピレネーを越えたらアフリカ>と呼ばれた野蛮人であるスペイン人にとっては、無意識への跳躍などは日常的なもので、さほど斬新な行為ではなかったのかもしれない、と、思ったものだ。
ホリーズばかり聴いている
2003年7月31日▼先日から、図書館で借りてきたホリーズばかり聴いている
▼ホリーズは1960年代後期に活躍した英国のコーラス・グループ。
▼『Bus Stop』や『Just One Look』というヒット曲で有名だが、例によってオンタイムでは聴いたことがない。
▼彼らのコーラスの魅力を例えていえば、精緻に構成された英国の叙情詩のような味わいとでもいったところか。
▼おもわずノンストップで聴いてしまう。特に『Sorry Suzanne』という曲に憑かれてしまい、リプレイのボタンを押し続ける。
▼出だしのギターがまるっきり、かつての日本のGSのソースであったことが丸わかりで愉しい。そして、<I can’t make it, if you leave me>という歌詞が泣かせる。
▼このホリーズの中心人物だったアーティストがグラハム・ナッシュ。
▼彼が、このホリーズを脱退して参加したのが、あの伝説的なロック・グループ、クロスビー・スティルス・ナッシュ&ヤング(CSNY)だ。
▼もちろん私は、このクロスビー・スティルス・ナッシュ&ヤングを知ってから、遡ってホリーズに辿り着いたのだ。
▼その後、CSNYは個人としての活動が増えていくのだが、クロスビーとスティルスはよっぽど気があうとみえて、デュエットとしての活動を断続的に続けていった。
▼そのクロスビー&スティルスが何度目かの来日を果たした時のことだ。
▼たまたまイベントの関係者に知人がいたので、本番前だというのに、私は何も考えず、素直に楽屋まで遊びにいってしまった。
▼ナッシュはホントにナイスガイで、にこにこしながら迎えてくれて、CDにサインまで貰って、私はハッピーだった。
▼クロスビーは本番前でナーバスだったのか、いらついている様子だった。
▼ところが、悲劇はこの後に起こった。
▼いざ本番で、コンサートの途中、ナッシュがいきなり、
「ぼくの東京のトモダチです」
と言って、私達が座っているところを指差してくれたのだった。
▼しかし。
▼そのとき、私は、昼間の疲労からか、ぐっすりと眠りこけていたのだった。
▼なにやら光が当たったので、とつぜん目が覚めたという醜態。
▼あの時は、ほんとうに、恥ずかしい思いをしたものだ。
▼そんなわけで、ホリーズを聴きながら、ひとりで赤面する私であった。
▼ホリーズは1960年代後期に活躍した英国のコーラス・グループ。
▼『Bus Stop』や『Just One Look』というヒット曲で有名だが、例によってオンタイムでは聴いたことがない。
▼彼らのコーラスの魅力を例えていえば、精緻に構成された英国の叙情詩のような味わいとでもいったところか。
▼おもわずノンストップで聴いてしまう。特に『Sorry Suzanne』という曲に憑かれてしまい、リプレイのボタンを押し続ける。
▼出だしのギターがまるっきり、かつての日本のGSのソースであったことが丸わかりで愉しい。そして、<I can’t make it, if you leave me>という歌詞が泣かせる。
▼このホリーズの中心人物だったアーティストがグラハム・ナッシュ。
▼彼が、このホリーズを脱退して参加したのが、あの伝説的なロック・グループ、クロスビー・スティルス・ナッシュ&ヤング(CSNY)だ。
▼もちろん私は、このクロスビー・スティルス・ナッシュ&ヤングを知ってから、遡ってホリーズに辿り着いたのだ。
▼その後、CSNYは個人としての活動が増えていくのだが、クロスビーとスティルスはよっぽど気があうとみえて、デュエットとしての活動を断続的に続けていった。
▼そのクロスビー&スティルスが何度目かの来日を果たした時のことだ。
▼たまたまイベントの関係者に知人がいたので、本番前だというのに、私は何も考えず、素直に楽屋まで遊びにいってしまった。
▼ナッシュはホントにナイスガイで、にこにこしながら迎えてくれて、CDにサインまで貰って、私はハッピーだった。
▼クロスビーは本番前でナーバスだったのか、いらついている様子だった。
▼ところが、悲劇はこの後に起こった。
▼いざ本番で、コンサートの途中、ナッシュがいきなり、
「ぼくの東京のトモダチです」
と言って、私達が座っているところを指差してくれたのだった。
▼しかし。
▼そのとき、私は、昼間の疲労からか、ぐっすりと眠りこけていたのだった。
▼なにやら光が当たったので、とつぜん目が覚めたという醜態。
▼あの時は、ほんとうに、恥ずかしい思いをしたものだ。
▼そんなわけで、ホリーズを聴きながら、ひとりで赤面する私であった。
イザベル・アジャーニの『死への逃避行』
2003年7月30日クロード・ミレール監督の手になる『死への逃避行』という映画を観ながら思ったのだけれど、イザベル・アジャーニという、たいして魅力的でもない貧相な女優の、いつものように、どこか思わせぶりで不器用な演技をまのあたりにしながらも、ところがまさしく、彼女のそうした彼女らしさのすべてに感動してしまったことを告白しておきたいのだが、ようするに、感動したってことは惚れたってことよ、とでも口にするしかないわけであり、思わずひとりで赤面しながらも、たとえばやはりアジャーニが登場する『サブウェイ』という映画を思いだしてみると、なんということか、リュック・ベンソンによる世間を小馬鹿にしたような法螺話と、生きた映画史とでもいうべきアレキサンドル・ドローネの手になる卓越した映画美術を堪能したあと、「あの下手な女優さえいなけりゃいい映画なんだけどね」などと舌打ちした過去を思いだし、ああ、これではアジャーニにいさぎよく謝罪でもするしかないのであるが、してみると、フランソワ・トリュフォーによる『アデルの恋の物語』をただひとつの例外として、ひとを感動させることにはさほどの成功をおさめてこなかったアジャーニのはずであったが、『死への逃避行』のヒロインである連続殺人犯カトリーヌに扮した彼女ときたら、切なくていたたまれない感情で、私の心臓をわしづかみにしてしまったというわけであり、この意外な展開の真相をあかせば、クロード・ミレール監督による、いかにもフランス人らしいリズム感の欠如を補うかのように、観る者をせきたててやまぬ性急な演出なくしてはあり得なかった感動に違いないわけで、では、そのクロード・ミレールとはどういう人物なのかと問えば、ヌーヴェル・ヴァーグ運動はなやかし1960年代後半、ゴダールやトリュフォーの映画のスタッフとして名を連ねた後に、1970年代にはいってから映画監督へと身を転じたらしい男なのだが、確かに、この『死への逃避行』においても、三文雑誌の占星術に操られるように旅をつづけ、名前を換え、殺人をくりかえす山羊座のヒロインには、やはりコミック・ストリップの主人公の犯罪を模倣しつづけた、あの『気狂いピエロ』のベルモンドのイメージがあからさまに透けて見えるし、また、同じく『気狂いピエロ』のヒロインであるアンナ・カリーナにいたっては、ヒロインを演じようなどとは一切せず、むしろ積極的に自分自身を演じることで、まるでアンナ・カリーナのプライベ−ト・フィルムのなかで逃走劇が行われているかのような新鮮な目眩を観客に与えたのであったが、この『死への逃避行』におけるアジャーニの魅力もまた、現実の人気女優と虚構のヒロインとの境界をあえて曖昧にしたままの、危ういともいえる演出に負うところが大きいわけで、ここまで書けばクロード・ミレールの映画がどういうものかある程度は想像していただけるであろうし、あとは蛇足とでもいうしかあるまいが、つまり話は昔ながらのフィルム・ノワール、悪女が男をハンティングする物語として、映画はそのような期待に対してあからさまに応えていくのだが、まずは探偵が登場し、様々なカメラを使いこなし、観るということのプロとしてアジャーニを追うはめに陥り、そんな探偵の前で、鮮やかな映画的運動をつづけるアジャーニには、探偵とともに観客も思わず溜息をつくしかない魅力が存在しており、いずれにしてもこの瞬間、探偵の視線と、観客の視線は見事に交錯し、探偵とともに、観客はしだいにアジャーニに魅了されていき、アジャーニをひたすら見守るだけの木偶の坊と化してしまった己を自嘲することになり、同様の木偶の坊である探偵は忠実に木偶の坊としての任務を果たし、時には、アジャーニの大胆すぎる犯行の後始末さえしながら、ブリュッセル、ニース、バーデン・バーデン、ロ−マ、ビアリッツ、シャルヴィルへと追跡をつづけるのだが、しかし実のところは、ここまでのアジャーニはあいかわらず美貌だけが取り柄の着せ買え人形なのだから恐れ入った話で、私は彼女の着せ買え人形ぶりに魅せられているにすぎないのかもしれないという考えが頭をかすめた次の瞬間、嘘のうえに嘘を塗りつけながら男どもを振りまわす、美貌のファムファタールを演じているはずのアジャーニの仮面にヒビがはいりはじめる、その瞬間から、物語は急速にアジャーニの素顔ともいうべき神経症の皇女めいた無防備な求心力に巻きこまれ、意外な感動を用意して観客を待ちうけていたのだが、それはすなわち、はじめて愛した男のまえで父の死の真相を語りながら、悪女の仮面を外しはじめたヒロインを演じるアジャーニであり、それはすなわち、やがて追いつめられ、ただの田舎娘という素顔を暴露してしまうヒロインを演じるアジャーニであり、それはすなわち、この先に演じるべき何者も持たないことに気づいて、死を決意するヒロインを演じるアジャーニであるのだが、ここでのアジャーニは、死への予感がオーラのように頬を染めあげ、かつてトリュフォーがこよなく愛したという、子鹿のように臆病で、山猫のように高慢な瞳を取りもどしており、そして遂には、アジャーニが不器用に演じきったヒロインの死に涙する観客を、少なくともひとりは獲得することに成功したのだ。
未来都市ブラジリアの誘惑
2003年7月29日▼先日のことだ、ある伝統工芸の写真集を制作するにあたって文字のデータを渡されたのだが、このデータが残念ながらWINDOWSの「一太郎」で作られたもので、しかもフロッピー・ディスク。
▼うちにはPCがMACしかなく、しかもフロッピー・ディスクのドライバーが無い。いや、あるにはあるのだが、もうとっくに死んでいる。せめて「WORD」だったら、MAC版の「OFFICE」で開けるのだが、それにしたってフロッピーが開けないのではお話にならない。
▼しょうがないので、G反田のサービス・ビューローに出かけて、文字原稿を印刷してもらい、その後でテキスト・データをMACフォーマットのMOに移してもらうことにした。
▼で、その間、待ち時間ができたので、近くのブックオフで暇を潰す事にしたのだが、掘り出し物には出会わなかった。
▼一冊だけ、教養文庫の近代世界美術全集というシリーズの11巻『近代建築とデザイン』があったので購入。
▼家に帰ってから、この本をパラパラとめくっているうちに、オスカー・ニーマイヤーが建設したブラジルの首都ブラジリアの写真に目が釘付けになった。
▼ニーマイヤーはル・コルビュジェの弟子で、帰国してからはブラジル建築界の中心的人物となり、1956年に始まった新首都ブラジリアの建設にあたっては建築顧問としてコンペを提案するとともに、最優秀となった師ルシオ・コスタの都市計画に基づき、ブラジリアの主要施設の設計を手掛けたという人物。
●<http://bokunari.tripod.co.jp/20011/text01.html>
▼このブラジリアの最高裁判所から国会議事堂を眺めた写真が素敵なんだよ。お見せできないのが残念。
▼似たアングルの写真を探してみたけど、どこにもないなあ。
●しかし、<http://www.alfainter.co.jp/foto-bsb.html>や<http://www.brasil.co.jp/voar/voarbsb.htm>でそのニュアンスだけでもお伝えできるかもしれない。
▼思えば、私が最初にブラジリアの光景を目にしたのはジャン=ポール・ベルモンド主演の映画『リオの男』の中でだった。
▼そのとき、主人公は逃走劇のさなかにブラジリアの未来的な建築物の中を右往左往するだけであったのだが、これをビデオで見たときの印象は「新しい」というより、「ほんとに実在するのこれ?」ってかんじで、まんま60年代SF映画のセットという印象だったなあ。
▼とても人間が住む場所とは思えなかったし、事実、ブラジリアの無機質な空間だけでは人間はいたたまれないらしく、この超未来的な都市のまわりにはアメーバー状にカスバ的な遊び場が広がっていったらしい。
▼昼間はブラジリアで働き、夜はこのカスバで心を癒すというシステムだ。
▼このカスバ的路地裏の脇雑な空間を見たら、ニーマイヤーは腰をぬかすか、人間の弱さを嘆くか、いずれかだろうね。ある意味で痛快ですらある。
▼しかし、しかしだ。ニーマイヤーはそれほど人非人ではなかったらしい。
▼今年になってからNHKの何かのドキュメントをぼーっと眺めていたら、最近のブラジリアの風景が画面に飛び込んで来たのだが、これがまた、月日のたつのは早いもので、当時は埋められたばかりで貧弱だった街路樹が、立派な森になってきており、これがあの無機質なブラジリアかい?と思うほどに有機的な空間に様変わりしていたのだ。
▼もちろん、厳密に考えればコンセプトとしてはモダンの敗北ではあろうが、この樹木の中に埋もれかかっている建築物の美しさときたら、見てみたいというより、住んでみたいと思わせるほどだった。
▼ミスター・ニーマイヤー、恐れ入りました。
▼でもあいかわらず、住むにはまわりの猥雑な空間の方が快適らしくてさ、ブラジリアの通勤時間のラッシュときたら、これまた60年代の悲観的未来を描いたSF映画のように非現実的な混雑ぶりで、ちょっと世界でも類をみないほどの凄まじさをレポートしてたよ。
▼ミスター・ニーマイヤー。モータリゼーションの拡大を計算に入れてなかったんだね。
▼うちにはPCがMACしかなく、しかもフロッピー・ディスクのドライバーが無い。いや、あるにはあるのだが、もうとっくに死んでいる。せめて「WORD」だったら、MAC版の「OFFICE」で開けるのだが、それにしたってフロッピーが開けないのではお話にならない。
▼しょうがないので、G反田のサービス・ビューローに出かけて、文字原稿を印刷してもらい、その後でテキスト・データをMACフォーマットのMOに移してもらうことにした。
▼で、その間、待ち時間ができたので、近くのブックオフで暇を潰す事にしたのだが、掘り出し物には出会わなかった。
▼一冊だけ、教養文庫の近代世界美術全集というシリーズの11巻『近代建築とデザイン』があったので購入。
▼家に帰ってから、この本をパラパラとめくっているうちに、オスカー・ニーマイヤーが建設したブラジルの首都ブラジリアの写真に目が釘付けになった。
▼ニーマイヤーはル・コルビュジェの弟子で、帰国してからはブラジル建築界の中心的人物となり、1956年に始まった新首都ブラジリアの建設にあたっては建築顧問としてコンペを提案するとともに、最優秀となった師ルシオ・コスタの都市計画に基づき、ブラジリアの主要施設の設計を手掛けたという人物。
●<http://bokunari.tripod.co.jp/20011/text01.html>
▼このブラジリアの最高裁判所から国会議事堂を眺めた写真が素敵なんだよ。お見せできないのが残念。
▼似たアングルの写真を探してみたけど、どこにもないなあ。
●しかし、<http://www.alfainter.co.jp/foto-bsb.html>や<http://www.brasil.co.jp/voar/voarbsb.htm>でそのニュアンスだけでもお伝えできるかもしれない。
▼思えば、私が最初にブラジリアの光景を目にしたのはジャン=ポール・ベルモンド主演の映画『リオの男』の中でだった。
▼そのとき、主人公は逃走劇のさなかにブラジリアの未来的な建築物の中を右往左往するだけであったのだが、これをビデオで見たときの印象は「新しい」というより、「ほんとに実在するのこれ?」ってかんじで、まんま60年代SF映画のセットという印象だったなあ。
▼とても人間が住む場所とは思えなかったし、事実、ブラジリアの無機質な空間だけでは人間はいたたまれないらしく、この超未来的な都市のまわりにはアメーバー状にカスバ的な遊び場が広がっていったらしい。
▼昼間はブラジリアで働き、夜はこのカスバで心を癒すというシステムだ。
▼このカスバ的路地裏の脇雑な空間を見たら、ニーマイヤーは腰をぬかすか、人間の弱さを嘆くか、いずれかだろうね。ある意味で痛快ですらある。
▼しかし、しかしだ。ニーマイヤーはそれほど人非人ではなかったらしい。
▼今年になってからNHKの何かのドキュメントをぼーっと眺めていたら、最近のブラジリアの風景が画面に飛び込んで来たのだが、これがまた、月日のたつのは早いもので、当時は埋められたばかりで貧弱だった街路樹が、立派な森になってきており、これがあの無機質なブラジリアかい?と思うほどに有機的な空間に様変わりしていたのだ。
▼もちろん、厳密に考えればコンセプトとしてはモダンの敗北ではあろうが、この樹木の中に埋もれかかっている建築物の美しさときたら、見てみたいというより、住んでみたいと思わせるほどだった。
▼ミスター・ニーマイヤー、恐れ入りました。
▼でもあいかわらず、住むにはまわりの猥雑な空間の方が快適らしくてさ、ブラジリアの通勤時間のラッシュときたら、これまた60年代の悲観的未来を描いたSF映画のように非現実的な混雑ぶりで、ちょっと世界でも類をみないほどの凄まじさをレポートしてたよ。
▼ミスター・ニーマイヤー。モータリゼーションの拡大を計算に入れてなかったんだね。
さすらい/マディソン郡の橋/カトマンズの男
2003年7月28日▼落穂拾いということで、過去のメモから幾つか転記。
▼ある休日の昼下がり。ヴェンダースの道行三部作でまだ観てなかった<さすらい>を図書館から借りてきた。3時間近い映画なので、途中、心地よく居眠りをする。
▼あとでバッケージの解説を読んだら、私は最も重要なシーンで寝ていたらしいことに気づく。このままビデオを返すべきかどうか迷う。
▼夕食後、イーストウッド作品で唯一観ていなかった<マディソン郡の橋>を観る。いつのまにか目覚めると、フランチェスカ(ストリープ)がキンケイド(イーストウッド)の遺品の入った箱を開けるシーンになっていた。美しいニコンが入っていた。
▼今日の私はどうしてこうも眠いのだろうか。いずれにせよ、メリル・ストリープは無駄に巧いと思った。フランチェスカはイタリア系の女性なのだから、ルネ・ロッソに演らせればよかったのに。そうすれば居眠りしなかったに違いない。
▼それにしても、母親の浮気話を読まされた子供達が、分別のある大人でありながら、あっさりとこの話に癒されてしまうというラストはいただけない。母親の裏切りを知った長男がショックを受けて、猜疑心のかたまりになり、妻を執拗に問いつめたあげく惨殺してしまう、といった工夫がないと、ホラ−映画としては失敗作というべきだろう。
▼今日は昼間から映画を見ながら寝てしまったせいだろうか、よく眠れない。しょうがないので明け方、ジャン・ポール・ベルモンド主演の『カトマンズの男』を観る。
▼フランス人らしくリズム感のない、ことごとくツボを外したスラップスティック・コメディだが、ベルモンドのヴィヴィッドな動きと、ベルモンドにひたすらついてまわる執事の非現実的な献身を観ているだけでも面白い。
▼この光景はどこかで観たことがある、と思ったら、なんだ、これはフランスの国民的漫画のキャラクターである<タンタンと愛犬ミール>のコンビではないか。そして、この映画での<タンタンと愛犬ミール>は、喜劇的でありながら、人生への倦怠と呪いに満ちた、セリーヌ風の<夜の果ての旅>を続けるのだ。やっぱ、フランス人らしい、自己愛で塗りこめられた映画なんだね、と合点した。
▼ある休日の昼下がり。ヴェンダースの道行三部作でまだ観てなかった<さすらい>を図書館から借りてきた。3時間近い映画なので、途中、心地よく居眠りをする。
▼あとでバッケージの解説を読んだら、私は最も重要なシーンで寝ていたらしいことに気づく。このままビデオを返すべきかどうか迷う。
▼夕食後、イーストウッド作品で唯一観ていなかった<マディソン郡の橋>を観る。いつのまにか目覚めると、フランチェスカ(ストリープ)がキンケイド(イーストウッド)の遺品の入った箱を開けるシーンになっていた。美しいニコンが入っていた。
▼今日の私はどうしてこうも眠いのだろうか。いずれにせよ、メリル・ストリープは無駄に巧いと思った。フランチェスカはイタリア系の女性なのだから、ルネ・ロッソに演らせればよかったのに。そうすれば居眠りしなかったに違いない。
▼それにしても、母親の浮気話を読まされた子供達が、分別のある大人でありながら、あっさりとこの話に癒されてしまうというラストはいただけない。母親の裏切りを知った長男がショックを受けて、猜疑心のかたまりになり、妻を執拗に問いつめたあげく惨殺してしまう、といった工夫がないと、ホラ−映画としては失敗作というべきだろう。
▼今日は昼間から映画を見ながら寝てしまったせいだろうか、よく眠れない。しょうがないので明け方、ジャン・ポール・ベルモンド主演の『カトマンズの男』を観る。
▼フランス人らしくリズム感のない、ことごとくツボを外したスラップスティック・コメディだが、ベルモンドのヴィヴィッドな動きと、ベルモンドにひたすらついてまわる執事の非現実的な献身を観ているだけでも面白い。
▼この光景はどこかで観たことがある、と思ったら、なんだ、これはフランスの国民的漫画のキャラクターである<タンタンと愛犬ミール>のコンビではないか。そして、この映画での<タンタンと愛犬ミール>は、喜劇的でありながら、人生への倦怠と呪いに満ちた、セリーヌ風の<夜の果ての旅>を続けるのだ。やっぱ、フランス人らしい、自己愛で塗りこめられた映画なんだね、と合点した。
Sex Pistols
2003年7月27日▼今は昔、セックス・ピストルズていうパンク・バンドがあったんだけどさ。そのバンドのフロントマンだったジョン・ライドンってのが、捏造したバンドがパブリック・イメージ・リミテッド。アングラ系の演劇とか観に行くと、このバンドの曲がよく使われていたっけなあ。ごつい重低音で、観客をてっとりばやく無思考状態に連れていくには持ってこいだったからなあ。そのパブリック・イメージ・リミテッドが来日してさあ、いや、もちろんこれも昔の話。チケットは買ってたんだけど、なんか、かったるくって、あんまし行く気もしなくってさあ。ねえ、ライブ、今日なんだけど、どうする? ああ、今日だっけ、まあ、やることもないしなあ、じゃあ行ってみるか、ってんで、夕方、中野の駅前でみんなと待ち合わせして、サンプラザに向かったんだけど、ふと気がつくと、やっぱおれたちみたく、たらたらした連中が、サンプラザにだらだらと向かってたっけなあ。そんで、ライブの中身なんだけど、パブリック・イメージ・リミテッド、連中、そりゃあもう、やる気がなくって、たらたらしてて、しかも、だらだらとした、酷いものだった。まあ、観るほうも、その上をいくたらたらぶりでさ、しらーっとしながら、ぼーっと聴いてたんだから、しゃーないけど。最後にジョンがいらだって、「What’s you want!What’s you want!」と何度も叫んでたけど、そんなの決まってんじゃん、てんで、ついにジョンもあきらめたよーに、アンコールでピストルズのナンバーを2曲やってさ、そん時だけ異常に盛り上がっておしまい。わずか30分くらいのライブ。こんなに短くても誰も怒ってなかったな、たるいから。
John Ashberyについてモゴモゴ
2003年7月25日▼最近、私は、John Ashberyという人を発見して、特に、「The Young Prince and Young Princess」という詩が気に行っております。
▼米文学に詳しい人には有名な詩人なのでしょうが、日本人の詩ですら昨年の秋に読みはじめた私には未知の人物でした。
▼この詩は、出来の違いはもちろんあれど、私が先日、戯れに書き飛ばした「夏計画」という書き物に設定とかムードが似てるなあ、と自惚れたりして、一瞬にして惚れてしまいました。
▼彼は俳句(HAIBUN)も書いているようですね。
▼また、彼の詩は、逃げをうつかのような曖昧な書き方で、理解の浸透を拒んでいるような作風だそうです。
▼それと、彼の詩はすべて詩についての詩である、とも言われていたりするようですね。
▼つまり、書くという行為にまつわりついてくる、直感や予感や不審や推測や、それに不随する愉悦、瞑想、感傷などが彼のスタイルであるらしいです。
■「私は詩の中で陳述を述べたりはしない。詩はすでに誰かが言った陳述について思いをめぐらすようなものでなくてはならない」とか言ってます。
▼知覚のプロセスを辿るような記述こそが詩である、ということでしょうか。彼の詩はポラックの絵画などと比較されたりすることが多いとか。
■"Ode to Bill"
What is writting?
Well, in my case, it’s getting down on paper
Not thought, exactly, but ideas, maybe:
Ideas about thoughts. Thoughts is too grand a word.
■「ぼくにとっては書くことは思いつきを紙の上に書きつけるってことにすぎない。それは思想についての思いつきかもしれないね。だけど思想なんて言葉、いかにも大袈裟だよね。そうは思わないかい? というのもひとつの思いつき」
▼って感じでしょうか。
▼基本的に「野暮な事は言いっこなし」という態度で、すべてを茶化しているような態度のように思われます。
▼ところで、図書館でいろいろ立ち読みしていたら、ハロルド・ブルームという批評家がこんなことを書いているそうです。
■「詩への愛は権力愛のもうひとつの変種であり、私たちが読む(あるいは批評を書く)のは同一化または所有のイリュージョンを略奪するためである」
▼ではまた。
▼米文学に詳しい人には有名な詩人なのでしょうが、日本人の詩ですら昨年の秋に読みはじめた私には未知の人物でした。
▼この詩は、出来の違いはもちろんあれど、私が先日、戯れに書き飛ばした「夏計画」という書き物に設定とかムードが似てるなあ、と自惚れたりして、一瞬にして惚れてしまいました。
▼彼は俳句(HAIBUN)も書いているようですね。
▼また、彼の詩は、逃げをうつかのような曖昧な書き方で、理解の浸透を拒んでいるような作風だそうです。
▼それと、彼の詩はすべて詩についての詩である、とも言われていたりするようですね。
▼つまり、書くという行為にまつわりついてくる、直感や予感や不審や推測や、それに不随する愉悦、瞑想、感傷などが彼のスタイルであるらしいです。
■「私は詩の中で陳述を述べたりはしない。詩はすでに誰かが言った陳述について思いをめぐらすようなものでなくてはならない」とか言ってます。
▼知覚のプロセスを辿るような記述こそが詩である、ということでしょうか。彼の詩はポラックの絵画などと比較されたりすることが多いとか。
■"Ode to Bill"
What is writting?
Well, in my case, it’s getting down on paper
Not thought, exactly, but ideas, maybe:
Ideas about thoughts. Thoughts is too grand a word.
■「ぼくにとっては書くことは思いつきを紙の上に書きつけるってことにすぎない。それは思想についての思いつきかもしれないね。だけど思想なんて言葉、いかにも大袈裟だよね。そうは思わないかい? というのもひとつの思いつき」
▼って感じでしょうか。
▼基本的に「野暮な事は言いっこなし」という態度で、すべてを茶化しているような態度のように思われます。
▼ところで、図書館でいろいろ立ち読みしていたら、ハロルド・ブルームという批評家がこんなことを書いているそうです。
■「詩への愛は権力愛のもうひとつの変種であり、私たちが読む(あるいは批評を書く)のは同一化または所有のイリュージョンを略奪するためである」
▼ではまた。
リチャード・ギアがキリンだったら
2003年7月24日▼つい先日、例によってNHK-BSの「アクターズ・スタジオ・インタビュー」にリチャード・ギアが出演していましたね。
▼そしていつものように、彼が仏教徒であることが話題になっていました。
▼リチャード・ギアが語る仏教は、さすがにZENから導かれてダライ・ラマにまで辿り着いた彼らしく、何を言っているのかよく判りません。よく判らないけど面白い。宗教的というよりも哲学的というか、あるいはパーティー・トーク的とでも言うべきか。
▼もちろん、退屈なスノッブ・パーティではなく、紫煙たちこめるカリフォルニアの空の下の集会の方ではありますが。
▼それにしても彼独特の、まわりを煙にまいてしまう発言は有名らしく、こんな記事を発見しました。以下、■は引用。
■<リチャード・ギア「もし僕がキリンだったとして―」が“意味不明”大賞に>
【CNN】最もセクシーな男性にも選ばれたことがあるギアさんは今年6月、英ガーディアン紙の インタビューで、同性愛者なのかと聞かれたのに対し、
「自分が何者か、僕は分かっている。ほかは誰も、僕が何者か知らない」
「もし僕がキリンだったとして、誰かが僕をヘビだと言ったとしたら、 僕は、いや僕は本当はキリンなんだよと思うだろう」
とコメントした。同団体は、ギアさんのこの発言が意味不明だとして、大賞に選んだ。 同賞にはこれまでに、英国のブラウン財務相や、サッカーのイングランド代表チーム監督を 務めたことのあるグレン・ホドル監督などが選ばれている。
▼確かに例のスーパーモデルとの結婚は偽装くさいものがありましたよね。
▼その後、再婚して子供もいるようですが、してみると、リチャード・ギアは両刀使い?
▼キリンってそういう意味かな?
▼そしていつものように、彼が仏教徒であることが話題になっていました。
▼リチャード・ギアが語る仏教は、さすがにZENから導かれてダライ・ラマにまで辿り着いた彼らしく、何を言っているのかよく判りません。よく判らないけど面白い。宗教的というよりも哲学的というか、あるいはパーティー・トーク的とでも言うべきか。
▼もちろん、退屈なスノッブ・パーティではなく、紫煙たちこめるカリフォルニアの空の下の集会の方ではありますが。
▼それにしても彼独特の、まわりを煙にまいてしまう発言は有名らしく、こんな記事を発見しました。以下、■は引用。
■<リチャード・ギア「もし僕がキリンだったとして―」が“意味不明”大賞に>
【CNN】最もセクシーな男性にも選ばれたことがあるギアさんは今年6月、英ガーディアン紙の インタビューで、同性愛者なのかと聞かれたのに対し、
「自分が何者か、僕は分かっている。ほかは誰も、僕が何者か知らない」
「もし僕がキリンだったとして、誰かが僕をヘビだと言ったとしたら、 僕は、いや僕は本当はキリンなんだよと思うだろう」
とコメントした。同団体は、ギアさんのこの発言が意味不明だとして、大賞に選んだ。 同賞にはこれまでに、英国のブラウン財務相や、サッカーのイングランド代表チーム監督を 務めたことのあるグレン・ホドル監督などが選ばれている。
▼確かに例のスーパーモデルとの結婚は偽装くさいものがありましたよね。
▼その後、再婚して子供もいるようですが、してみると、リチャード・ギアは両刀使い?
▼キリンってそういう意味かな?
模範解答
2003年7月23日▼質問:世の中にある90%は、白人の男たちに向けて書かれた物語だ。その物語を<女>が、あるいは<アジア人>が読むということはどういうことか。それは、どうしたって、<白人の男のために世界はある>という物語を補強してしまうということだ。では、女は、あるいはアジア人は、それに抗うには、どうすればいいのか。無垢な<男の子>になったつもりで物語を読んでみようか。物語を書き直してみようか。そして一瞬の夢でいいから<虹鳥>を捉える身ぶりをしてみようか。あとで看護婦に叱られるのかもしれないけれど。だって素敵な冒険になりそうじゃないか。できればその<虹鳥>の背中に乗って、空っぽの<蒼空>の向こうに飛翔してしまいたいよね。そうだろ?
▼解答:私はむしろ、男でもなく、女でもなく、少年でもなく、少女でもなく、<マイケル・ジャクソン>として本を読み、物語を読み、世界を解読してみることをお勧めします。
▼解答:私はむしろ、男でもなく、女でもなく、少年でもなく、少女でもなく、<マイケル・ジャクソン>として本を読み、物語を読み、世界を解読してみることをお勧めします。
ちょっと停滞
2003年7月22日▼先週末、家族が突然、といっても人間ではないのですが、半身マヒが始まってしまって、ちょっと世話が大変です。
▼食事も自分では食べられない状態なのです。
▼さらに今、ちょっとめんどうな仕事も入っており、雑用が重なりつつありまして、そんなわけで、世話に慣れるまで、更新とかが滞るかもしれません。
▼食事も自分では食べられない状態なのです。
▼さらに今、ちょっとめんどうな仕事も入っており、雑用が重なりつつありまして、そんなわけで、世話に慣れるまで、更新とかが滞るかもしれません。
Just Like A Woman
2003年7月14日▼Macの純正MP3管理ソフト<iTunes>でボブ・ディランの「Just Like A Woman」をsearchしたら、うちのMacには7曲も入ってました。
▼そのうち2曲はザ・バーズと、リッチ−・ヘブンス?(ディランの30アニバーサリーでの演奏)。残りの5曲がボブ・ディラン本人のパフォーマンスです。
▼ザ・バーズによるディランのカバーは、いつもザ・バーズのアレンジのほうがディランの曲の魅力を引出しているのではなかろーか、と思うのですが、この曲はめずらしく、さすがのロジャー・マッギンも、素直にディランのオリジナルのままでプレイしているようです。それだけ完成度が高いのでしょうか。
▼逆に言うと、ディランは他人が自分の曲をカバーした時、そのほうが良いと思ったら、平気で自分もそのアレンジで演奏しますよね。ジミ・ヘンドリックスがカバーした「All Along The Watchtower」とか。でも「Just Like A Woman」に関してはディランは弾き語りで演奏することが多いようです。
▼さて。ディラン本人による「Just Like A Woman」の5曲の内訳は、
1)スタジオ録音オリジナル・ヴァージョンと、
2)悪評のわりにはディランのベストテイクのいくつかが聞ける<武道館>でのライブと、
3)やっぱり凄まじい緊張感(ギターがジョージでドラムがリンゴ、ディランならずとも心配になります)がたまらない<バングラデッシュ>でのライブと、
4)あの伝説のイギリスはアルバートホールでのライブ(前半の弾き語りだから観客とのバトルはまだです)と、
5)それからザ・バンドとのライブ・アルバムでの演奏です。
▼私は最後のザ・バンドと演った時のライブでのディランの、まるでブル−ス・スプリンスティ−ンみたいな唄いっぷりが好きで、最近、こればっかり聞いているのでした。
▼そのうち2曲はザ・バーズと、リッチ−・ヘブンス?(ディランの30アニバーサリーでの演奏)。残りの5曲がボブ・ディラン本人のパフォーマンスです。
▼ザ・バーズによるディランのカバーは、いつもザ・バーズのアレンジのほうがディランの曲の魅力を引出しているのではなかろーか、と思うのですが、この曲はめずらしく、さすがのロジャー・マッギンも、素直にディランのオリジナルのままでプレイしているようです。それだけ完成度が高いのでしょうか。
▼逆に言うと、ディランは他人が自分の曲をカバーした時、そのほうが良いと思ったら、平気で自分もそのアレンジで演奏しますよね。ジミ・ヘンドリックスがカバーした「All Along The Watchtower」とか。でも「Just Like A Woman」に関してはディランは弾き語りで演奏することが多いようです。
▼さて。ディラン本人による「Just Like A Woman」の5曲の内訳は、
1)スタジオ録音オリジナル・ヴァージョンと、
2)悪評のわりにはディランのベストテイクのいくつかが聞ける<武道館>でのライブと、
3)やっぱり凄まじい緊張感(ギターがジョージでドラムがリンゴ、ディランならずとも心配になります)がたまらない<バングラデッシュ>でのライブと、
4)あの伝説のイギリスはアルバートホールでのライブ(前半の弾き語りだから観客とのバトルはまだです)と、
5)それからザ・バンドとのライブ・アルバムでの演奏です。
▼私は最後のザ・バンドと演った時のライブでのディランの、まるでブル−ス・スプリンスティ−ンみたいな唄いっぷりが好きで、最近、こればっかり聞いているのでした。
エリック・ストルツ/恋しくて
2003年7月13日▼ちょっと前なんだけど、また「バック・トゥー・ザ・フューチャー」を地上波でやってましたね。
▼あの映画はエリック・ストルツ主演で撮影を終了してたんだけど、ラッシュを見た後、「主人公が根暗に見える」という理由で、当時、テレビ番組「ファミリータイズ」で人気のマイケル・J・フォックスで、 全面取り直しになったんだよね。
▼監督のゼメキスは、「とにかく本気で驚いている顔が欲しかった」とか言ってたけど、確かにマイケル・J・フォックスのリアクションは見事だね。明るいし。
▼エリック・ストルツ、暗いし。なんせ「ザ・フライ2」でハエ男の2世役だもんね。
http://cinema.media.iis.u-tokyo.ac.jp/person.cgi?pid=1301
▼そういえばエリック・ストルツ主演の青春映画「恋しくて」をこのまえテレビ神奈川でやってました。
http://www.h3.dion.ne.jp/~tango2/L/somekind.html
▼主人公は、ハンサムなんだけど暗いナーズっぽいキャラクターで、しかも、「バック・トゥー・ザ・フューチャー」で恋人役をやるはずだったリー・トンプソンも出てて、なるほど、「バック・トゥー・ザ・フューチャー」に選ばれた理由も、下ろされた理由も、両方わかるような映画でした。
▼で、映画の出来はというと、これがすごく良かった。
▼エリック・ストルツには親友っぽい幼馴染みの少女がいて、でもエリック・ストルツはお嬢様のリー・トンプソンに憧れていて、で、その男の子っぽい少女が、エリック・ストルツに、「練習台になってやるよ」といってキスをせがむ、という、ある意味、日本の少女マンガそのものの胸キュン・ストーリー。
▼かなり出来の良い青春映画でした。それもそのはず、脚本がジョン・ヒューズですからね。つまらないはずはありません。
▼あの映画はエリック・ストルツ主演で撮影を終了してたんだけど、ラッシュを見た後、「主人公が根暗に見える」という理由で、当時、テレビ番組「ファミリータイズ」で人気のマイケル・J・フォックスで、 全面取り直しになったんだよね。
▼監督のゼメキスは、「とにかく本気で驚いている顔が欲しかった」とか言ってたけど、確かにマイケル・J・フォックスのリアクションは見事だね。明るいし。
▼エリック・ストルツ、暗いし。なんせ「ザ・フライ2」でハエ男の2世役だもんね。
http://cinema.media.iis.u-tokyo.ac.jp/person.cgi?pid=1301
▼そういえばエリック・ストルツ主演の青春映画「恋しくて」をこのまえテレビ神奈川でやってました。
http://www.h3.dion.ne.jp/~tango2/L/somekind.html
▼主人公は、ハンサムなんだけど暗いナーズっぽいキャラクターで、しかも、「バック・トゥー・ザ・フューチャー」で恋人役をやるはずだったリー・トンプソンも出てて、なるほど、「バック・トゥー・ザ・フューチャー」に選ばれた理由も、下ろされた理由も、両方わかるような映画でした。
▼で、映画の出来はというと、これがすごく良かった。
▼エリック・ストルツには親友っぽい幼馴染みの少女がいて、でもエリック・ストルツはお嬢様のリー・トンプソンに憧れていて、で、その男の子っぽい少女が、エリック・ストルツに、「練習台になってやるよ」といってキスをせがむ、という、ある意味、日本の少女マンガそのものの胸キュン・ストーリー。
▼かなり出来の良い青春映画でした。それもそのはず、脚本がジョン・ヒューズですからね。つまらないはずはありません。
卒業」をビデオで観る
2003年7月12日▼「卒業」をビデオで観る。
http://www.h3.dion.ne.jp/~tango2/L/Mrs.html
▼ダスティン・ホフマンが無駄なほど巧い。そして、やはりめっぽう面白い。
▼しかし、今にしてみると、ヒロインに付きまとうダスティン・ホフマンの行動は<ストーカー>そのものであるなあ。<彼女の半径5キロ以内に近づくべからず>という裁判所命令がでることは間違いない。ていうか、むろんその点を確認したくて再び観たのだが。
▼この主人公役には最初はロバート・レッドフォードの所にオファーが行ったそうだが、彼は「ぼくがこんなにウブな男にみえるかい?」と言って断ったそうだ。いかにも、ナルシストの彼らしい断りかたである。
▼それにしてもこの映画のディティールがたまらなくいいのだ。
▼キドニー形のプール。曲線を描くインテリア。たばこの吸い方、そして消し方。プラスティックへの妄信。消費生活への礼讃。新緑と紫煙のカレッジ・ライフ。そして赤いアルファロメオ・スパイダーのエンジン音。そしてもちろん、サイモン&ガーファンクル。なにもかもが素晴らしい。
http://www.h3.dion.ne.jp/~tango2/L/Mrs.html
▼ダスティン・ホフマンが無駄なほど巧い。そして、やはりめっぽう面白い。
▼しかし、今にしてみると、ヒロインに付きまとうダスティン・ホフマンの行動は<ストーカー>そのものであるなあ。<彼女の半径5キロ以内に近づくべからず>という裁判所命令がでることは間違いない。ていうか、むろんその点を確認したくて再び観たのだが。
▼この主人公役には最初はロバート・レッドフォードの所にオファーが行ったそうだが、彼は「ぼくがこんなにウブな男にみえるかい?」と言って断ったそうだ。いかにも、ナルシストの彼らしい断りかたである。
▼それにしてもこの映画のディティールがたまらなくいいのだ。
▼キドニー形のプール。曲線を描くインテリア。たばこの吸い方、そして消し方。プラスティックへの妄信。消費生活への礼讃。新緑と紫煙のカレッジ・ライフ。そして赤いアルファロメオ・スパイダーのエンジン音。そしてもちろん、サイモン&ガーファンクル。なにもかもが素晴らしい。